ベルギー王国 ワーテルロー市

わが姉妹都市ワーテルロー

ワーテルロー市とは1992年(平成4年)10月8日に中央図書館で姉妹都市提携調印式を行いました。

提携の経緯は、1991年(平成3年)に長久手町町制施行20周年記念事業の一貫として長久手市と同じように古戦場を持つまちとして国際的な姉妹都市の相手先を検討し、NHK、ベルギー観光局日本事務所を通してワーテルロー市と接触し、2回の人的交流の後、調印の運びとなりました。

 

ワーテルロー市概要

ワーテルロー写真

ワーテルローは、ベルギーの首都ブリュッセルから南へ約20キロ、ソワーニュの森はずれに位置し、フランス語圏のワロン地方にあります。

1815年6月1日にナポレオン率いるフランス軍とウェリントン将軍率いる連合軍が戦った「ワーテルロー」古戦場の地として有名です。

 

ワーテルロー写真 ワーテルロー写真

現在は治安の良い静かな住宅地として発展し、ブリュッセルの郊外という位置関係から、外国の出先機関が事務所を構えるようになってきました。まちの歴史的豊かさを大切に、生活の質の向上を市の行政方針としています。

ワーテルロー写真ワーテルロー写真


ワーテルロー写真

「ワーテルロー」という地名は12世紀に使われていた言葉“waterlots”が語源であると言われています。これは昔、小さな村のはずれにあった小川の水が流れ込む“湿った低い草原”に由来しています。

ちょうど「ながくて」が “細長い湿地帯”を意味しているのとまったく同じ語源です。


ワーテルローの戦い

ワーテルロー写真

1815年6月17日、ヨーロッパ統合に向ける数々の戦いに勝利し、ナポレオンは間もなく、彼の故国フランスに大きな勝利を持ち帰るはずでした。しかし、6月16日リニーにおいてフランス軍のネイ将軍は進路キャトル・ブラを占領できず、ウェリントン将軍率いる連合国軍の一部隊に敗退させられていました。

連合国軍の指揮官であったウェリントン将軍は、ワーテルローのロイヤル・チャペル前のボーデンヘン未亡人経営の宿を指令部として選びました。そこで17日から18日にかけてプロシア軍が合流するという情報を確認し、将軍は指令部に留まってナポレオンの攻撃を待ちました。彼の兵士達はモン・サン・ジャンに野営しました。

一方ナポレオン率いるフランス軍は、17日夜から18日にかけてヴュー・ジュナップに軍を進めていました。

 

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運命の総決戦は6月18日、日曜日でした。

舞台はブレーヌ・ラルー、ジュナップ、プランスノワ(ラーヌ)そしてワーテルローでした。

18日午前、それぞれの軍隊に臨戦体制は整いました。

戦いの火ぶたは、フランス軍歩兵第1部隊のブレーヌ・ラルーのウグモン農場攻撃によって切って落とされました。しかし、このフランス軍の攻撃はイギリス騎兵隊の反撃を受け、午後にはフランス軍は窮地に立たされていました。

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フランス騎兵隊は、幾度か反撃を試みましたが無駄でした。しかし、この時点では両軍の勝敗は予測できませんでした。

一方、プランスノワでは、プロシア軍がフランス軍のデュヘム将軍と、パプロットの農場でもプロシア軍ヴォン・ゼッテン将軍がフランス軍との戦闘に突入していました。後退を余儀なくされたフランス軍に、連合国軍は総攻撃を加え、勝利を果たしました。

 


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